約53°のスペクトル

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 虹には、ダブルレインボーという現象がある。普通に見える虹(主虹)の外側に色が反転した虹(副虹)が見える現象だ。流れ星のように、これが見えた時は願い事をすると叶うとも言われている。

 また、雨がよく降り、虹がよく出るハワイでは「No Rain, No Rainbow」ということわざもある。雨が降るから、虹が出る。困難の先には素敵なことが待っているという意味のようだ。 

 

 26日、全米で同性婚が認められた。この決定にどのような意味を持つのか考えた時、最近読んだ『私とは何か――「個人」から「分人」へ』の中で述べられている「愛とは、その人といるときの自分の分人を好きになること。」という考え方が参考になるように感じた。

 分人とは、ひとりの人間の中にある複数の人格のようなもので、複数の分人同士が繋がり合い、そのネットワークの総体が個人を形づくっているという概念だ。コミュニケーションを取る相手や、その時々のコミュニティに対応して、自分のキャラクターが変わるような経験は日常生活の中で誰にでもあるものだろう。

 この分人という考え方では、そのそれぞれのキャラクターの中に「本当の自分」という実体はない。あえて言うならば、分人ネットワークそれ自体が「本当の自分」ということになる。では個性とは何なのか。それは、分人の構成比率だと言う。個人を1という整数としたときに、分人はそれを構成する分数のようなイメージだ。それら分人の構成比率によって個性は形づくられ、自分らしさというものに繋がっていくと言うのだ。

 さて前置きが長くなった。件の決定により、アメリカではやはり自分らしく生きられる人が増えるのだと思う。

 冒頭に書いた、「愛とは、その人といるときの自分の分人を好きになること。」という考え方に沿って考えると、相手の性別がどうとかはそもそも問題になっていない。つまり、自分を好きになれたとき、目の前にいる「その人」がたまたま同性であった、ということは十分にあり得るのではないかと思う。それが公的に認められたということは、「その人」と一緒にいるときの分人を認められたということであり、それはつまり、その分人の構成比率が高くなることが認められたということになる。その結果、自分らしさというものを獲得していく人が増えるのだと思う。

 僕自身、自分らしさとは何か、個性とは何かとかをさんざん考えてはいるけれど、やりたいことのベクトルとしては、「自分らしく生きる人を増やす」という方向にあるように思う。だから、今回の決定で自分らしく生きられる人が増えるのであれば、それはとても素晴らしいことに思える。

 今回の決定は当事者にとって、きっと困難の先の素敵な出来事であり、まさに虹が掛かったような状況だろう。これを主虹と捉えたとき、この先どんな副虹を描いていくのだろうか。

 ところで先日初めて行った新宿2丁目のゲイバーで「ノンケなの?え…、ノンケなの…?」と何度も何度も残念そうに言われたことは、なんだかすごい申し訳ない気持ちになってしまったなあ。。

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

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